ざわログ

ブログど初心者。ファッション業界で生き延びながら、転職したい人。

【Fashion】百貨店は死んでいる、のか

www.apalog.com

 

昨日読みました。

要するにオムニチャネル化が進んでない現状ってまずいのに

百貨店業界の人は何考えてるの?的な記事です。

 

日経MJの百貨店業界として取り組むべき施策のアンケートでこのような結果が出たようです。

(元記事があるのかと思い、調べてみましたが見つかりませんでした。。。)

1位 接客の質の向上

2位 カード顧客囲い込み

3位 外商部問の強化

4位 文化催事やイベントの充実

 

小島さんが何を言いたかったのか、僕なりに考えましたが

つまるところこんなことなんじゃないでしょうか。

 

ビジネスの仕組み自体を大きく変えていかないと、全体が沈んで取り返しのつかないことになる

 

接客も言わずもがな大事ですし、ハウスカードのお客様をしっかり捕まえながら

外商部問でしっかり上顧客を囲い込むことも必要です。

実際に百貨店業界と関わる身としては、これらの問題に取り組んでいる姿勢は

見受けられます。

ここで百貨店のアンケート結果であげられている4つの施策は

現状のビジネスの仕組みが万全であり、その上で今後売上を伸ばしていくか

作戦を練る時に考えるべきことだと思います。

 

アマゾンやZOZOTOWNの大手EC勢が競合となり

PARCOやLUMINEなどのSCとの差別化も非常に難しくなってきています。

百貨店が優位に立てるポイントが少なくなってきていることに加え

歴史の長い業界なだけに、ビジネスの仕組みも硬直していると考えます。

 

だから、百貨店業界の人もちゃんとビジネスの仕組みの変換期に来ていることを

自覚しないとせっかくの努力が的はずれになりますよ。

ってことを言いたかったのではと推測します。

 

 

代わりに小島さんが提案していることもなんだか腑に落ちない感じはしますが

 

小島さんが言う

「エクスクルーシブなセントラルバイイングによる自主オムニチャネル販売体制の確立」って

他にはない商品を本部一括買い付けで、それをいろんな販路で売りましょう

ってことなはず。

(横文字多すぎて理解しづらいので一回整理しました笑)

果たして百貨店がその役割を担えるのか、この後に及んでエクスクルーシブな

モノを揃えることができるのか疑問ありますが必要なことかなと。

 

こないだ三越伊勢丹はラグジュアリーEC始めましたよね。

www.fashion-headline.com

 

さらに言うと「買取やSPA調達に拠るの再構築」については

百貨店がプライベートブランドを立ち上げたりするわけです。

 

セブンアンドアイが高田賢三さんと始めましたよね。

www.sogo-seibu.co.jp

 

スタイリストの大草直子さんを迎えて、高島屋も始めるみたいです。

http://www.takashimaya.co.jp/base/corp/topics/160609b.pdf

http://www.takashimaya.co.jp/base/corp/topics/160609b.pdf

 

施策としては重要なことです。

特別であり、他にはない考え方の商品があり、仕入ではないし

自社でコントロールできる部分を作ることもできます。

あとはクオリティーと露出を高めていくことと

これこそオムニチャネル化が急がれます。

前者のセブンアンドアイは売り場展開がイトーヨーカドーそごう・西武なので

周りの環境がまちまちでVMDに苦戦しそうですが今後どうなるか

見ておきたいと思います。

 

余談ですが、オムニ7って名前ってオムニチャネルから来てるみたいですが

そこまで一般認知のない業界用語をそのままサービスの名前にするのってどうなんでしょうね。。

まとめ

昨日記事読んだ時に感じたことをまとめただけですが

百貨店はまだ死んでないけど、完全に末期だと思います。

急いで手を打たないととかなりまずい。

一方で、場としての力は今後も重宝されるはずだと思います。

ホステスクラブオールナイターのポップアップの

新宿伊勢丹でありましたし。

キュレーションメディアのMERYだって雑誌を作りましたし

それに似たことが百貨店にも担えるかと感じています。

mery.jp

ECの実店舗をポップアップでやりたい時に

考えられるのは百貨店とも思います。

 

インバウンドも陰りを見せていますし、今後の施策には

注目していきたいと思います。

 

では。

 

ビルゲイツの花束の話は仕事の本質だと思う

blogos.com

 

これ、僕とても好きな話なんですよね。

ビルゲイツの花束の話。

 

簡単にまとめると

あなたがパーティー当日までに

花束を用意してほしいと頼まれます。

あなたは花屋に花束を注文します。

しかしパーティー当日天候不良で花束が約束の時間に

間に合わないと言われます。

 

この場合、あなたの仕事はパーティー当日の決められた時間までに

花束を届けることで、花束を注文することではありません。

もし天候が悪くて遅れるなら他のあらゆる手段を探して

なんとしてでもパーティーに花束を届けなくてはなりません。

 

という話です。

 

期限を守り、結果を出すこと

このエピソードから読み取ることができる教訓です。

重要なのは、その仕事において最終的にどんな結果が求められているのか

これを意識することなのではないでしょうか。

 

さっきの花束のエピソードで言うと

花束を、決められた時間に決められた場所に届けることが

最終的な結果です。

もちろんこれって当たり前だと思いますよね。

言われなくてもそんなことわかってると。

 

でも意外と普段の生活や仕事の中で正確に捉えられてないと思うのです。

冒頭引用したブログの中でもこんな一節があります。

 

 

 

”待ち合わせの例でいえば、大抵の人は 10 時前に到着する電車に乗ることだと思っています。しかし本当の任務は、 10 時に待ち合わせ場所に着くことです。”

http://blogos.com/article/178468/

 

 

10時○○駅に集合だから、9時30分の電車に乗ればいいよね、的な。

最終的な結果を、それを達成する手段をすり替えるんですよ。

 

その手段を実行すれば結果が得られる。何もなければ。

普通に電車が動き、事件が起こらず、自分の体調も万全だ!

という前提で考えることで、手段=結果という考えに至ります。

 

結果を出しましょう

いい結果を出すとか成果を残すとか、それも大事なんですが

ここでいう「結果を出す」というのは

期限を守り、仕事を最終地点まで連れていくこと

という意味で考えます。

 

毎日本を読むことではなくて、その本から学べることを探すことだったりですかね。

 

なんとなく考えていたことを言葉にしてみただけなので

これからちゃんと行動に移していくべきことなのですが

まずはブログを更新することも日々結果を出すことの一つであるので

頑張っていきたいと思います。。。

 

では。

 

表現したい、という気持ちは「怒り」から生まれる

 

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怒ることって、何か表現したり主張したりする上で

めちゃくちゃ大事なモチベーションです。

 

仕事で上司や部下に対していろいろと思うところがあり

悶々と考え込んでいたんですが、そこで気がつきました。

 

その怒りが、今ある問題について考えさせている

 

上のツイートにもありますが怒るということは

今の状態に不満があって、かつどうにか是正したい時に生まれる感情です。

もしあなたが今の状態に不満がなければ怒りは生まれないでしょうし

不満があっても、なんとかしたい、良くしたいという気持ちがなければ

発する言葉は単なる愚痴になるでしょう。

 

しかも、怒りの感情は自分の心に多少の余裕がなければ生まれてきません。

例えば、ブラック企業で働く人が長時間労働などに不満を持っていたとしても

仕事で疲弊していてはその環境の劣悪さを外側の人間に発信したいという

気持ちは発生し得ません。

 

まさしく、ブログを書いていないおよそ1ヶ月間は仕事に追われ

気持ちに余裕がない状態でした。

 

伝えたい中身だって、怒りから見つかる

伝えたい!発信したい!と、モチベーションを感じるのは

あなたの理想と、今目の前の現状に大きなギャップがあるからなのは

間違いないと僕は思います。

 

さらに、「怒り」を感じたものごと自体を深く考察して

分析した結果を発信することが重要です。

 

こればきっと後日ブログで書く内容なりますが

最近怒りを感じることがありました。

 

部下に仕事を振って、あとは任せる。よろしく。

みたいなスタンスの上司に怒りを感じました。

仕事を振ることが目的ではなく、仕事を遂行させることが

上司の役割なはずです。

そのマネジメントが出来ていないことをやんわり伝えても

何も変わらず、上司は上司の仕事に追われています。

 

そんな状況はおかしいと僕は考えました。

 

で、すごく怒って一人でビール飲みながら考えてたんですが

その時に「ここまで深く考えることって最近なかったな」

と気がつきました。

 

モチベーションになってることに気がつけさせられたのと

その考えたことを表現したいと感じました。

 

自分の怒りは誰かの怒り

多分、僕みたいな普通の人が考えていることって

他の誰かも考えていることだと思います。

だから自分で言葉にして、自分で考えをまとめて

その結果、同じ怒りを抱える誰かのためになればいいなと

考えました。

 

これはブログを書く上でとても重要なことなはずです。

 

なので、中断されていたブログを再開しました。

 

怒りの感情を大事にしていきます。

 

では

 

 

 

 

 

【Fashion】展示会って大事だけど、ムダが多いですよ

こんにちは、ざわ(@Beat17Helena)です

 

これ、ほんとです。

 

アパレル業界にいらっしゃる方なら共感してもらえるかと思いますが

本当にムダが多い。

 

たとえばメーカーやデザイナーズブランド、新興ブランドからすると

行方を左右する重要なイベントです。

ここで受注を取らないことには工場を抑えて生産もできないし

そもそも大量の取引先に案内を出して足を運んでもらわないといけませんし

さらに来場のスケジュールを調整して、会場のレイアウトや諸々、、、

とにかく、やらないといけないことが山のようにあります。

 

有名人が展示会に行って予約してきた、みたいなツイートをしていたりしますが

実際的にはもっとビジネス色の強いイベントです。

 

たとえば、〇〇百貨店別注を作って欲しいだったり

××百貨店で大きなイベントをしませんか、のような依頼や提案をもらったり

逆にこちらから話を持ちかけたり、売上を最大化するための商談を行います。

また、バイヤーは商品を見ながら発注をつけます。

 

資料は基本紙ベースです。

発注してもらうために、数量を記入できる絵型を用意して

その数量を集計し、商品を生産します。

 

何が無駄なポイントか、その根源は

 

 

これにつきます。

 

では紙を使っていて何が問題なのか。

 

1 資料準備が大変

来場する取引先の分は最低限用意しなければなりません。

案外、紙代もプリント代もバカになりません。

しかも、印刷したらそれぞれ配布資料を分ける必要があります。

とにかく時間がかかって大変。

 

2 発注が大変

発注をつけるバイヤーは、配布された紙の資料に鉛筆で数量を記入して

金額を電卓で出す必要があります。

これってありえないほど大変です。

商品の数が少なければそこまで大変ではないと思いますが

それでも、いちいちペンで書いて自分で数字を出すのは

アナログで大変。

 

3 集計が大変

後でメーカー側は発注がつけられた数字を集計します。

でも、それは紙に記入された数字なので、自動計算ではありません。

すべて自分たちでトータルの数量を出さなければなりません。

ミスも増えるし、ただただ大変。

 

単なる紙嫌いというわけではありませんが

紙であることで、ひたすらに大変です。

昔は紙であることが一番効率的だったのかもしれませんが

時代は変わり、ファッションテックと呼ばれる分野も

盛り上がっていますよね。

 

ターミナルオーダー便利かも

そこで、このサービスが導入できれば変わりそうな気がします。

terminal-order.com

 

データベースで管理できるし、効率アップに寄与するはずです。

紙を使って、人もたくさん使うことで起こるミスを減らしていくための

このサービスはとても良さそうです。

うちでも使ってみたい。。。

 

まとめ

業界外から見ると華やかで新作がたくさん観れる楽しいイベントですが

内側には数々の課題があります。

いきなり全部移行できないけど徐々変わっていけばいいなと思います。

アパレル業界の方でこんなことで困ってるなどあれば教えてください。

では。

余白の必要性

ここのところ仕事が忙しすぎてなかなか時間も心も余裕がなく

ブログにも手が回らないし、本も読めないしキツい生活をしていました。

 

どれだけ忙しくても、ブログは書きたいなと思っていましたが

時間的に書けなくないけど、気持ちが乗らないことが多々ありましたね。。

 

で、ただ忙しくてブログが書けなかっただけだとなんか悔しいので

そんな中かろうじて考えていたことをまとめます。

 

それは「余白の必要性」です。

 

ざっくりとした言葉ですが、要は

許容量の限界まで働くと、他のことに頭が使えなくなって

本当に大事なことを決めかねたり

行動に移せなくなるということなのではないかと思います。

 

だから、そのためにいつでも使える余白を残しておかないと

頭がうまく機能しなくなりますよということです。

 

まぁ、当たり前といえば当たり前ですが。

 

余白がないと、こんな感じになります。

 

仕事以外のものごとに気が回らなくなる

毎日朝9時から夜22時まで1ヶ月ぐらい働いていたわけですが

ブログとか読書とか、音楽とか、そう言った趣味の部分に時間が割けなくなります。

 

単純にそう言ったことに触れられる時間自体も減りますし

ひたすら頭を使った後に例えばブログを書けるかというと

なかなか難しい部分がありました。

 

生活が仕事中心に回りだす

多くの社会人にとったら当たり前かとは思いますが

企業に勤めるたいていの人は、1日で仕事をする時間が一番長いですね。

仮に定時で帰れたとすれば、寝るまでの時間は自由に使えますし

土日はしっかり休んで、趣味に没頭したり体を休めたりできます。

 

それが、労働時間が増えだし休日出勤なんかしだすと

話が変わります。

 

とにかく仕事のことだけが気になり始め、心も体も休まりません。

明日仕事だから、友達に誘われたけど飲みに行くのやめよう。。。

のように、仕事があるから、という理由で本当にやりたいことを

躊躇してしまいます。

 

習慣が失われる

これが一番問題ですし、困ります。

たとえばブログも週に〇〇本更新すると決めていても

物理的にできなかったりします。

そのせいで、なんとなく書くことをやめて、落ち着いた頃に再開できればいいですが

それっきり失われてしまうことも多いですよね。

まさに今僕はその状態なんですが、どんな感じで文章書いていたか

思い出すので少し時間がかかりました。。。

 

だから、心と身体の余白が必要

忙しくなったとしても、1日の時間は24時間のままですし

自分のキャパシティーを拡大することもできません。

なのに仕事が増えることで、自分が保っていた余白を使って

なんとか乗り切りますが、疲弊してしまいます。

 

仕事をできるだけ効率的に終わらせる努力や

日々仕事を溜め込まず、明日できることは明日に回して

毎日定時に帰ることで、その余白は保たれると思っています。

 

かなり難しいけど。

 

なので、常に余白をもった人生にしたい。

疲れたくないし、本も読みたいし、ブログ書きたいし

フェスにも行きたいから。

 

頑張りましょう。

 

では。

仕事が終わらないのは、事前に終わりを決められないから

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これ、最近ほんと思います。

 

仕事が立て込んできて、やってもやっても終わらない

なんでなんだ、、、

 

みたいなマイナス思考に陥りますし

仕事の割り振りがおかしいのか、自分が仕事をこなすだけの

力量がないのか、上司のマネジメントのせいにしてみたり。

 

結果、仕事が終わらず残業地獄みたいになります。つらい。

 

でも、そんなことを考えていましたが

結局は「何をもって仕事を終わりとするか」を決めておくことで

仕事が多く降りかかってきても何とかなることに気がつきました。

 

終わりを設定する

自分ではできているつもりでしたが全くダメでした。

TODOリストを作ってみても、なかなか潰せないし

まぁ明日やればどうにかなるか、、、

みたいなダメ社会人っぷりを発揮してましたね。

 

特にダメだったのが、はっきりとした終わりを決めていなかったことです。

 

TODOリストはあるんだけど

・○○さんに××確認

・△△用の資料作成

 

のように、とてもざっくりとした内容でしか仕事を把握しておらず

実際どのようにやるのかも、何が必要なのかもよくわかりません。

そのため、仕事に取り掛かると

予想していなかったことが必要になったり

期日に間に合わなくなってしまったりして

他の仕事に影響が出て、そのあとまたもや仕事が遅れて、、、

気持ちがいいぐらいの悪循環をかましていました。

 

なので、TODOリストを具体的に作り

自分がやるべきことを全部出してしまうことにしました。

 

いわゆる見える化

この見える化という言葉がなんとなく嫌いだったんですが

(可視化でええやん、と思っています。今でも)

やっぱり仕事を終わらせるためには

やるべきことを最大限具体的に、かつ簡潔にまとめておき

さらに、一目でわかる形にしておくこと

全体がクリアになり、自分が抱えていることの全容が把握できます。

 

具体的に、というのは以下のような感じかと思います。

 

・△△用の資料作成

      ↓

・7/13実施の△△についての会議で使う□□の数値をまとめた

資料を7/6までに作成、7/8までに●●確認

 

的な感じです。

具体的なんですが、要点だけっていうのがポイントかもしれません。

 

・いつまでに

・何を

・何のために

・どうするのか

・その他必要事項(確認を取る必要性など)

 

この辺だけでも、単にTODOリストを作るよりもクリアになりますよね。

 

さらに頭の中でわかっているつもりでも

人間忙しいとどこか抜けますよね、ほんと簡単に。。。

記憶に頼るとロクなことがないので

全部出してしまいましょう。

 

エバーノートだったり、どこでもどんなデバイスでも

いじれるものだったら一番いいですね。

 

全体を把握して、終わりを決める

以上のように、やるべきことを吐き出して

見える形にすることで、その日中にやらなければならいことは

自然に見えてきます。

 

ここまでやれば今日は大丈夫、明日はこれ

みたいな感じになりますよね。

 

リストさえちゃんと作ることができれば日々の仕事にも

終わりは自然に生まれますし

何となく行き当たりばったりな仕事の仕方も無くなります。

 

予習復習も大事

把握したら、事前にリストを確認することと

1日が終わったら、本当にそれで終わったか確認することも大事です。

 

そうやって繰り返すことで

リストの精度は高まりますし、より定時帰宅が近づきます。。

 

まとめ

まぁ、完全に今の自分がダメすぎてここのところ頑張っていることを

書いてみました。

やはり、仕事は大事ですがプライベートな時間を十分生み出すためには

いかに仕事を効率良く終わらせるかだと思うので

このやり方でさっさと定時帰宅できるようになります。

 

ライブ行きたいし。

 

では。

 

正しい質問の仕方

 

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こんにちは。ざわです。

 

最近、自分ではわからないことや判断できないことを

相談したり質問したりするときに

気をつけないといけないなと思うことがあります。

 

特に仕事に関連してくることであればなおさらです。

 

”自分なりの答えを持った上で、相談する中で自分と相手の答えを比べる”

 

これ大事ですね。

 

一から答えを引き出すのは無責任

一般的に質問や相談って、わからないことをわかる人に教えてもらう行為だと

考えられているのではと最近感じます。

 

それ自体は実際その通りだと思いますが、

わかる人に、わからないことを丸投げするようなことはとても無責任です。

 

もしあなたがとても恵まれた職場で

周りの同僚や上司もわからないことがあれば何でも聞ける雰囲気があったとします。

 

あなたは新人で、わからないことを周りの人間に質問します。

 

〇〇ってどう処理すればいいですか?

 

とか

 

××ってどうすればいいですか?

 

と、いうようにざっくりとした聞き方をしても

答えてくれるかもしれません。

 

新人のうちは全然問題ないですよね。

右も左もわからないんですし。

 

でもそれが続くとちょっと困ったことになります。

 

その一年後、同じ質問の仕方をしているのであればとても無責任です。

自分で限界まで考えてわからないのであれば

その時点での、自分で考えた最善の「やり方」をまとめて

それのどこがおかしいのか、改善するべきところはどこなのかを

問うべきですね。

 

それが無いのに、質問する相手に一から任せるのは

考えることを放棄しているし、仮に方法を提示された後

万が一失敗したらその質問相手のせいにできます。

 

さらに言うなら相手の時間を奪うことになります。

暇な時期なら別に問題無いですが、あなたがとても立て込んでいて

そんなことぐらい自分で考えてくれ!

と思うようなタイミングで、全部丸投げするように質問されたら困りますよね。

 

自分で考えた最善の方法をぶつける

僕が考える質問・相談の仕方の仕方はこちらです。

とにかく重要なのは、自分の頭で考えた結果をまとめて語ることです。

 

わからないのであればまず調べます。

ググれば大体すぐ大まかな知識は得ることができます。。

 

それでもわからないことがあれば自分の仮説を立てます

今ある知識や情報の中でいいと思います。

 

そのあとそれを順序だててまとめます

その中で、わからないところを具体的に洗い出します

箇条書き的に、簡潔にまとめます。

 

それから、わかる人に質問するようにします。

 

そうすれば、自分の頭を使って考えるトレーニングになる

しかも質問される側からすればポイントがまとまっていて

わかりやすいですね。

 

まとめ

書きながらとても当たり前のことを言ってる感がありましたが

意外とできない人、いると思います。

 

実際僕の部下は全くできていません。。笑

 

だからこそ今回改めてまとめたわけです。

 

お互い時間も頭脳も有限なので

うまくやりくりできたらなと思います。

 

では!

 

 

 

 

「曲」が好きな人、「歌」が好きな人、その違いって?

こんにちは、ざわです。

 

昔からなんですが、「曲」が好きな人と「歌」が好きな人の違いで

その人の価値観が見えてくると思っています。

 

自分の好きな「音楽」を「曲」と表すか「歌」と表すか

という違いです。

 

その違いってなんなんでしょうね。

あんまり気にならないことかもしれませんが、いろいろ考えました。

 

まぁでも偏見の塊みたいな文章なので、なんとなく読み流してもらえればと思います。

 

曲が好きは全体が好き

この曲好きだなぁ〜という時には、その音楽全体を指しますね。

その楽曲全体の雰囲気だったり、楽器のテクニックや

もちろん歌のメロディーも含めて、音楽を聞いています。

一般的に「音楽が好きな人」はこちらにカテゴライズされます。

僕もこちら側の人間です。

 

歌が好きな人はその歌しか興味ない

この歌いいよね〜みたいにいう人は、上記の音楽好きとは逆で

その歌の上手さとメロディーの綺麗さ、共感を呼ぶ歌詞のその美しさが

興味の中心です。

個人的には、音楽は人並みに好きだけど

「本当に」音楽が好きなわけではないと感じます。

言い方はあまり良くないと思いますが

マイルドヤンキー的価値観を持った人は「歌」好きが多いですね。

カラオケで歌ったらモテる的な、すごく共感できるラブソングとか。

それがいいとか悪いとかそういう判断を下すわけではありません。

 

なぜ彼らは歌が好きなのか

以上の2つにカテゴライズされると考えますが

「歌」について考えたいと思いました。

僕としては音楽を「曲」と呼ぶのがとてもナチュラルだと考えますが

彼らの価値観の中では「歌」となります。

「曲」の中から「歌」だけが取り出されます。

 

例えば、日本国民が好きな「歌」ベスト10とか

紅白歌合戦」とか、テレビでは「歌」がフォーカスされます。

テレビは「歌」を持ってきます。そして視聴率を稼ぎます。

 

やっぱりそのメッセージの共感性がすべてなんだなと思います。

わかりやすいし、周りと共通した話題になるし、美しい歌詞は心に響くし。

 

対して「曲」は様々な要素が入り乱れてるし

楽器をやったことがない人からしたらどう判断したらいいのかわからないし

そこまでちゃんと聞く人はこだわりが強いから

みんなで同じ良さを共感したいという気持ちがあまりないのかもしれません。

 

歌=共感 曲=こだわり

なんだかよくわからない文章になりましたが

この違いが小学生ぐらいからずっと不思議に思っていました。

そして、人生において僕が仲良くなった人は

ほとんど「曲」が好きな人でした。

「歌」が好きな人はあまり合いませんでした。

 

「歌」を媒体に共感したいのか、その「曲」自体が好きなのか

そのちがいなのかもしれませんね。

 

いつもぼーっと考えていたことを書いてみました。

 

では。

相手に気をつかうと伝えたいことが正しく伝わらない

こんにちは、ざわです。

 

最近、こう思います。

相手のことを気遣うほど、伝えたいことが正しく伝わらないと。

特に、社会人になってから感じることが増えました。

 

気をつかうこと=曖昧にすること

なぜそう思うかというと

相手がショックを受けるだろうなー

落ち込むだろうなー

すごいキレちゃうだろうなー

など、相手のリアクションを先に想像してしまい

それを回避するために、柔らかい言葉で伝えようとすることで

結局何が言いたかったのかわからなくなってしまうからです。

 

多分とか、〜と聞いていますとか、逃げ道を作る言葉や

かなり〜とか、すごく〜とか、程度を強調する言葉。

 

ボヤっと曖昧になってしまいます。

 

周りに配慮しすぎる

 

また、仕事の成果を上司に報告することがあったとして

 

自分の力だけではなくて周りの協力があって何とか達成できました。

 

と、いうことが言いたいとします。

 

そういった場面で、肝心の結果やその経緯などより

 

○○さんは××を担当してくれて

△△さんは□□を頑張っていて、、、

 

みたいに、あなたが言いたいこと、相手に伝えなければならないことより

細部を余計なほど事細かに、周囲に過剰に配慮することで

逆にわけが分からなくなって

何が言いたいの??とはてなマークが出てしまいます。

 

なぜ気をつかうのか

やはり、会社組織の中で上司という生き物は

善良で気の使える人間が好きだからです。

 

その要望に答えることが一番の目的になった結果

肝心の内容がすっ飛んでしまうのです。

 

要するに、日本的価値観の中では

利他的な人が最も素晴らしく

いかに自己犠牲のポーズをとれるかが

周りからの評価を得るため必要な要素となります。

 

だから、伝え方も価値観に乗っとり

周りへの配慮が一番重要となるのです。

 

言いたいことをシンプルな言葉で伝える

利他的価値観に抵抗するにはこれに尽きます。

曖昧な言葉を使わない。

配慮することも重要ですが、あくまで伝えたいことの

中心を見失わないこと。

曖昧な言葉は使わず、シンプルな言葉を使うこと。

 

僕もいつも意識するようにしています。

 

結構いるんですよね、こういう人。

サラリーマン的にあえて断言しないで

のらりくらりやってるのかもしれませんが

大抵つまらんことが多いです。

 

そうならないよう、改めてまとめてみました。

日本語難しいし、自分の考えなど伝えるのも難しい。

 

頑張ります。

 

では。

 

ものごとを判断するとき、自分にとってどうかという視点を持とう

こんにちは、ざわです。

 

最近鳥井さんのブログを読んだんです。

inkyodanshi21.com

 

この一文がグッときたんですよ。

 

世間がそうやって「体験価値」を持て囃しているからという理由だけで、その言説にただ流されてしまい、盲目的に体験価値にお金をつぎ込んでいたら、それはただの浪費です。

 

あぁその通りだな、と思いました。

 

あなたにとってどうなのか

その視点が抜けていると、世間の常識に沿って判断しがちになります。

あなたが洋服が好きなら、それは一種の投資だと

鳥井さんも言っていますね。

 

例えば、旅もそうです。

 

海外旅行に出て、いろんな苦労しながらも充実した経験をすることで

得るものがたくさんあるから、僕も行かなきゃ!みたいな。

 

確かにそうなんだと思いますし、行きたいなとも思うこともあるけど

今自分にとって本当に必要か、考える必要があると思います。

 

必要性と不安感

自分にとってどうか判断する時に、必要となる基準はこれだと思います。

 

必要性に迫られた行動なのか、不安感に苛まれた行動なのか。

 

あなたが一流の販売員になりたいのなら

一流の販売員の接客を受けに洋服を買うことも投資であり

浪費ではありません。

 

しかし、あなたが周りの視線や世間体を気にして

ブランド物を買いあさり虚栄心を満たし

不安感を鎮めようとしているのなら、それは浪費です。

 

あなたにとっての必要性

あなたにとっての必要性を、正しく認識するには

まずはたくさんの情報を取り入れることです。

 

判断するための材料集めのようなものです。

 

多すぎてもダメだとは思いますが

少なくても誤った判断をしがちです。

 

洋服は好きだし、もっともっと欲しい人は

魅力的な洋服の情報だけを手に入れますが

それが浪費かもしれないと気づかされる情報だって

取り込むべきです。

 

鳥井さんの記事のような。

 

あなたにとって都合のいいこと悪いことを

たくさん集めて、その上でなお必要性を感じるなら

やってみればいいし、違和感を感じるなら

さっさとやめるのがいいですね。

 

僕もこんなこと考えながらも

いつも余計なことをしてしまったりします。

 

難しいですね本当。。。

 

これって当たり前だけど忘れられがちな

視点なので改めて言葉にしてみました。

 

では。